キースの注文の品を手に戻ってきた城之内は、キースがそれを食べ終わるのを待つことなく、慌しく家を出て行った。
「オレもうバイトの時間だからよ、このまま出るわ。お前はまだ起きたばっかなんだし、まだ寝てた方がいいんじゃねぇの。あとそれから」
 ハンバーガーをかじるキースの横で、バタバタと着替えをしながら城之内は、キースが聞いているかどうかなどお構いなしに、早口にまくし立てた。
 実際、キースも城之内の言っていることをほとんど右から左に聞き流していたが。
「食い終わった後はちゃんとゴミはゴミ箱に捨てろよな!部屋散らかすなよ!・・・やべ、もう出ねぇと!」
 帰ってきたときと同じく、騒がしく出て行った城之内の姿が扉で見えなくなったのを横目に、キースはとにかく腹の中に物を納めつづけた。
 城之内はおごりではないと口うるさく繰り返していたが、あいにくキースに手持ちの金など一銭たりともない。
 しかしすでに城之内の金で買ったハンバーガー5つの内、3つはキースの胃袋に収まっている。城之内には泣き寝入りしてもらうしかないが、キースにとっては当然といったところだった。
 そもそも城之内は少々、いや、かなり人が良すぎる。キースからすれば、城之内の人の良さは馬鹿と言ってもいい範囲だ。
 以前、デュエリスト・キングダムで、キースが城之内に何をしたか、まさか覚えていないはずはない。
 いや、城之内ならばきれいさっぱり忘れてしまっていてもおかしくないかもしれないが、しかしキースは自分でも、「キース・ハワード」という男はまったく信用ならないと思っているほどである。手癖の悪さには自信があるくらいだった。
 そんな男を、何の警戒もなしに家に上げ、あまつさえ食事まで与えるなど、人が良いにもほどがあるというものだ。とはいえ食事については、本人はあくまで「おごりではない」と思っているだろうが、返す金などはなからキースにはないのだから、実際には確実におごることになる。
 さらに極めつけは、キース一人残して家を留守にしている。キースにしてみれば、ありえない状況だった。
 キースは4つ目のハンバーガーを包んでいた包装紙をくしゃくしゃと丸め、薄汚れた木製の小さな机の上に放り投げた。そしておもむろに立ち上がる。
 その数分後、キースは城之内が何故平気でキースを一人置いて家を出て行ったのか、理解することになった。
 キースは憮然として元の場所に座り込み、コークをボトルのままがぶ飲みした。きつい炭酸の喉を痺れさせるような感覚に耐え切れなくなってようやく口を離す。
 城之内の家には何一つとしてなかった。
 小さな木製の使い古されたたんすの中には、ごくわずかの衣類と、妙に古めかしい写真、封の切られた手紙など、キースにとっては取るに足らないものしか入っていない。
 背の低い、申し訳程度の押入れの中はほとんど空っぽで、唯一あった埃にまみれてよれよれになっているダンボールなどは、もう中を開けて見ようという意欲さえ湧かなかった。
 貧乏臭さを隠そうともしていないこの部屋と、城之内の様子からして、キースもはなから期待はしていなかったが、こうも見事に何もないと逆に感心してしまう。
 キースは5つ目のハンバーガーにかじりつきながら、もう一度部屋を見渡してみた。
 この部屋はとにかく狭い。日本人の家は大体が「ウサギ小屋」だと思ってはいたが、ここまでひどいのはキースも初めてだ。アメリカ中で一番劣悪なモーテルでさえ、これよりもう少しマシなんじゃないかと、キースは思う。
 日がかげって、オレンジ色の光が色褪せた畳に落ちている。汚れてほとんど磨りガラスのようになっている窓には、カーテンなどという上等なものはもちろんついていない。
 5つ目のハンバーガーも食べ終わり、キースは包装紙を丸めて放り投げる。すでにゴミ箱の存在などキースの頭には入っていなかった。
 いい加減、城之内の部屋を漁るのにも、部屋自体がこうも狭いのでは限界がある。
 キースは残りのコークをすべて喉に流し込むと、寝かされていた布団の上に寝転んだ。
 腹ごしらえも済んで、ようやく一息ついた心地だった。相変わらず、身体の下の布団はほとんど用を成しておらず、床に直接横たわっているようなものだったが。
 これからどうするか、とキースは電気も点けられていない低く薄暗い天井を見上げて思う。手持ちの金もなければ、行く宛てもない。
 このまま居られるだけ城之内の家に居座るのも、やろうと思えばできるだろう。城之内が文句を言おうと、居座ってしまえばこっちのものだ。
 しかし、キースはいつまでも城之内の家にいるつもりはなかった。なりゆきで城之内に拾われた格好になってしまったが、それはまったくの偶然である。
 以前のキースなら、おそらくこのまま城之内を利用できるだけ利用して、居座れるだけ居座っただろう。しかしそれは、今のキースにはあまりにも居心地が悪かった。
 しかしI社から逃げ出して来たはいいが、逃げ出した後のことなど、キースは何一つ考えていなかった。だから城之内の家を出たところでどうしようもない、ということも事実である。何せここは、自分の国から遠く離れた、右も左もわからないような町なのだ。
 考えても堂々巡りで、いい加減面倒になってしまった。そうなったら、キースはもう考えるのをやめてしまう。何を考えようが、結局最後にはなるようにしかならないものだ。
 考え事をやめてしまうと、今度はやることがなくなった。城之内の部屋には、テレビさえないのだ。食って寝るだけのねぐらにすぎないということなのだろう。
 キースはふと、自分の着ていた服のことを思い出した。今は不恰好な、おそらく城之内のものだと思しき丈の短いスウェットとTシャツという出で立ちだった。
 着ていた服の中に金が入っているわけでもなかったが、唯一、黒い革のジャケットには、その内ポケットに自分のデッキが入っていることを、キースは覚えていた。夜行のところを出てくるとき、ベッドの側にあったテーブルに置かれていたのを、反射的に掴んでポケットに突っ込んだのだ。
 キースは立ち上がると、背の低い洗面所を覗いてみた。狭く薄暗い洗面所にキースの服はなかったが、デッキはきちんと揃えて棚に置かれていた。
 デッキを手に取り、元いた場所に戻りながら一枚一枚捲って見た。夜行の言うとおり、キースのデッキの中にはもう、邪神の姿はどこにもない。キースが自ら入れたマシンモンスターばかりが次々と姿を見せる。
 邪神など、あんなもの最初から自分には必要なかった。今では、キースはそう思っていた。夜行が持てと言うから、デッキに入れてやっただけだ。
 あんなブザマなカミサマなんざ、こっちから願い下げだ。
 そんなものがなくても、自分は十分強いからだ。
 選び抜いたカードと磨き上げた戦略で、全米チャンピオンにまで上り詰めた。ペガサスにも負けないはずだった。
 あの下らない茶番さえなければ、今でも自分はチャンピオンのままでいるに決まっているし、ど素人の城之内になど会うことさえなかっただろう。
 カードを持つ手が思わず震えた。
 結局、復讐もろくに果たせずに、ペガサスはいなくなってしまった。城之内にも、再び膝を折った。
 いや、とキースは手の中のマシンモンスターを見下ろした。
 城之内に負けたのは、デュエリスト・キングダムの時は単なるまぐれに過ぎないし、二度目はあの情けない神とは名ばかりの三流モンスターのせいだ。でなければ、自分が城之内のような素人に負けるはずなどない。
 キースは一度束ねたカードををもう一度手のひらの中で広げた。ふと、一枚のカードが目に留まる。
 タイム・マシーンだった。
 そのカードを手に取ったキースは、自分の唇の端が上がり、引き攣った笑みを形作るのがわかった。何がおかしいのか、自分でもわからない。
 酷く情けないような、哀れなような、苦々しい気持ちでいるのにもかかわらず、まるでそうするしかないようにひとりでに笑みが浮かんで、喉がくつくつと鳴った。
 生き返ってからひと時も忘れず、あれほどまで憎み続け、またしても敗北した相手に、今こうして助けられている。
 何より不思議なことは、今の自分の精神が驚くほど平静を保っているということだ。憎らしいはずの城之内を前にして、今まで何もなかったということからすでにおかしい。
 夜行の言っていた「邪神に依存していた」というのは、つまりこういうことなのか。
 邪神を手にしていたときの、憎しみと怒りと悪意とがない交ぜになって渦を巻き、それが黒い炎となって全身を焼かれているかのような、あの感覚。
 それがあの邪神が命とともにキースにもたらしたものだったのか。
 そこまで考えて、キースは自嘲しながら首を振った。くだらない、と思った。邪神のカードがどんな存在であったにせよ、今ではもう失われている。考えたところで仕方のないことだ。
 今、自分の手の中にあるこのデッキさえあれば、キースはそれでよかった。自分はこのデッキでやってきたのだ。命のかかった賭けでさえ、勝ち抜いてこれた。
 キースはタイム・マシーンのカードを再びデッキに入れ、しっかりと手のひらに収めた。
 日が刻々と沈み、薄暗い部屋を真っ赤に染め上げていく。キースはその感触を味わうように手のひらの中でカードの山を遊ばせながら、赤い光が届かない部屋の隅の陰が濃くなっていく様を、青い瞳を細めてじっと見つめていた。



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